皆さんお久しぶりです。そして1年間ほぼ更新せず本当にすみませんでした!!!
最後に更新したトピックが割とデリケートなだけに、この世からいなくなったと思われても仕方ない内容だったのでこればっかりは本当に申し訳ないです。
今は普通に元気なりゅーきでございます。
さてさてこの度私りゅーき、ついに大学を卒業しましたー!
いやーここまで来るの長かった。語学学校1年に卒業するのに5年かかったので。今の学校にはシンプルに6年在籍しているので普通に小学校を卒業できる年度分を過ごしました。
今思うと色んな事があった6年間ですが、とりあえずざっくり振り返っていきましょう。
ということで長かった大学生活を振り返っていこうと思います。
語学学校時代
このあたりはだいぶ前なので記憶が薄れてる部分もあるんですけど、とりあえず初めて親元を離れての生活で大変だなと思ったり、英語は難しいなーと思ったりした記憶。
けどバスケ好きを活かして友達を作ったり、休まず授業に行ったりとりあえず健康には生きてた笑。健康大事だもんね。
初めて英語で授業を受けてなんとなく慣れてきてちゃんと1年で語学学校を修了できたことは評価に値するでしょう。
授業ではまともに触った事がなかったパワーポイントを使ってのプレゼンをやったりして、大学に入る前にこのあたりの準備ができて良かったです。
そんな19歳の俺よ、ついに卒業したぞ!よく頑張ったな(言う程この年はそんなに頑張ってない)。
1年生
第一関門・解剖生理学。毎週小テストで500ページぐらいある教科書とにらめっこしてたのにも関わらず単位を落としました。
今思えばここが最初の苦痛。成績はテストと小テストのみ、単語はラテン語が語源でアメリカ人ですら読めないものが存在するし、「何でこの世の人間は全員日本語を話さないんだ」とか言っていました。
プライベートで言えば自分と同い年の交換留学生が来て、日本の大学に行ってたらこんな感じだったのかなとか思える機会がたくさんあって充実した1年で終わるなと思ってた矢先のコロナ。
緊急帰国からの異例の夏休み5ヶ月でしたが、何日連続で家に引き篭もれるかとか勝手に1人で始めて4月はほぼ丸々引き篭もってオンラインで授業を受けてましたが、今となっては良い思い出。
あ、あとはこのブログを始めたのはこの時期ですね。時の流れ早いな。
そんな1年生の俺よ、ついに卒業したぞ!
2年生
キャンパスでは常時マスク着用、授業はアメリカにいるのにも関わらず半分はオンライン。本当にアメリカにいる意味があるのか自問自答していたら何か駆け抜けていた2年生。
この辺はこの記事を読んでもらえると様子がわかります。
この年に解剖生理学1と2を倒したのはデカかったですね。逆にこれ以外の記憶がまるでないのはなぜでしょう。
きっとそれはコロナのせいでしょう。(かかったことない)
とりあえず2年生の俺よ、ついに卒業したぞ!
3年生
第二関門・運動生理学。いやーこいつは本当に強大な敵でした。僕の大学生活を語る上でこいつを無視することはできません。
授業は難しいし、先生はアカデミックアドバイザーだし。テストなんか重箱の隅をつつく様な問題を大量に出してきましたね。
2回も単位を落とす授業なんて今後は無いと思いたいし、アメリカで本気で土下座を考える様なシチュエーションも来ないでほしいものです。(2回目は成績0.1%足りなかった)
そういえばこの頃もまだコロナの影響はあったものの、他の学校に比べれば元に戻ったのはだいぶ早かったみたいです。学長グッジョブ。
プライベートで言えばこの年からキャンパスの外でアパートを借りて友達と住み始めましたね。ここから僕の自炊の生活が始まりました。
余談ですが、今では調味料を1から集めて素なしで麻婆豆腐を作るぐらいのスキルはつけてしまいした。女性陣の皆さん、ここに優良物件がいますよ。和洋中全部いける男がここにいますよ。(切実)
このぐらいの時からストレングスコーチになる事を考え始めたので意外と重要な年でもありましたね。実際春学期が終わった直後の夏休みからインターンも始めたわけですし。
何はともあれ3年生の俺よ、ついに卒業したぞ!
4年生
ラストイヤーだったはずなのに、運動生理学のせいで卒業が伸びることが決まった年。おかげさまで2つ目のマイナーを足す事になった瞬間です。(自業自得)
3回目ともなるとテストに出てくる問題をなんとなく覚えていたという法では裁けないカンニングを行うことによってファイナルを受けずに単位が取れる状況にまで持っていった俺、実に素晴らしい。
それ以外は割と必修の授業は潰していたおかげで比較的授業が楽になり始めたかな。
久しぶりに交換留学生が来たり、日本人界隈もかなり充実した年でした。
そのあたりはこの記事かな。
学期中もインターンを始めた最初の年で生活リズムもガラッと変わった1年でした。朝は5時前に起きて10時には眠くなる生活で超健康。
しかもアスリートと関わり始めた初年度でアメフトと男子バスケが地区優勝をして全国大会に出場したのは幸運だったと言えるでしょう。
ボスとGAの背中を見て、こんな風になりたいなと思える人達がいる環境に自分の身を置けたことは大学生活で1番の財産でした。
そんな4年生の俺よ、ついに卒業したぞ!
4年生Mk-II
意地でも5年生とは言いません。学業的には特に何も問題はなかった年ですが、精神的には1番キツかった。
直近だからそう感じる部分もあるんですけど、まぁ色々あったよね本当に笑。
自分自身が病むとか想像もしたことなかったし、年内いっぱいぐらいは浮き沈みが激しかったのかな。ちゃんと覚えてないぐらいにはぐちゃぐちゃだったし。
今でもふとした瞬間に思い出したりする事があるんですけど、それなりに楽しくやれているので良しとしましょう。
春学期は冬休み中にまさかのボスがヘッドハンティングされた事により、急遽他校でインターンを行うことになり年末からドタバタ。
急遽で受け入れてくれた学校側には頭が上がらないです。
大学院の受験やGraduate Assistantの面接などもだいぶ難しかったなと。ここら辺の詳細は別の記事でもうちょっと深く書きたいので今回は割愛します。
とりあえず俺って本当に卒業したんですね。
終わりに
長い記事を書くのが得意な僕ですが、今回はマジざっくりな振り返りになりました。(要約が下手くそだから記事が長くなるだけ)
ほとんどブログを更新していない割にはちゃんと年度終わりのタイミングでは記事を書いているのである意味日頃の積み重ねですかね。
気づけばアメリカに来てもうすぐで7年目。小学校に入った子達が中学生になる時間を過ごしています。
周りの環境であったり世の中の状況も7年前とは大きく変わっている中で、こうしてアメリカでやりたい事を続けていられる事、多方面から支えてくれている家族や友達に本当に感謝です。
進路と致しましては、自分の中で環境を少し変えたかったのと、卒業した学校よりもスポーツでもう少しレベルの高い学校に行きたいと思ったことからミズーリ州内にある別の学校の大学院に進学をする予定で、現在I20が発行されるのを待っている状態です。
なので学生生活はあと2年継続となります。パッと2年と言われると長く感じるものですが、2年前の事を思い出すと意外と「ああ、あれ2年前の出来事か」となるのであっという間に大学院生としての生活も終わってしまうのでしょう。
なんなら来年の今頃にはちょっとずつでも就活に向けて準備を始めると思うとあまり時間があるわけでもないですしね。
そう思うと2年後の自分が今の自分を思い出した時に「この2年間頑張ったな」と思える様な2年にしようと思います。
限りある時間を有効活用しないとね。
ということで今回はこんな感じで。
次回はなんとなく書きたいことは決まっていますが、かなりニッチな話題なのと、時間とお金をかけて情報を集めたので有料のnoteに挑戦してみようかなと思っています。
その時はまたお知らせしますので、よろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。大学院生になるりゅーきもよろしくお願いいたします。