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自己紹介と僕の想い

はじめまして!英語が話せないのに留学してなんだかんだでアメリカで大学生やっているりゅっこです。

 

小学生まで

1999年5月14日生まれ。バナナマンの日村さんと同じ誕生日です。神奈川県藤沢市出身。自称湘南っぽくない湘南ボーイです。血液型はB型。小さい頃は『ママ、にゅうにゅう』って言って牛乳を水やお茶のように飲んでいました。

小さい頃からスポーツをするのが大好きで、4歳の頃にサッカー、7歳の頃に野球をはじめて卒業まで両方ともやってました。この頃からすでにスポーツを毎日することが当たり前の活発なちびっこでした。

本当によくもまぁあんなに毎日運動してたなぁと今でも思います。あとは父親の趣味が釣りだったのでよくついて行っていました。

サッカーで好きな選手はインテルやバルセロナで活躍したエトー、同じく元インテルのスナイデルです。あの頃のインテルが大好きだったんですよね。

ちょうど長友がインテルに移籍したぐらいの時期ですかね。野球だとヤクルトの青木宣親が好きでした。あとはキャッチャーをやっていたので城島はすごく憧れの存在でした。

サッカーは今でもハイライト見たり、ゲームをするのは好きです。小学1年生の時に、学校がある日にも関わらずチャンピオンズリーグのセルティック対マンチェスターユナイテッドの試合を生中継で見てました。

中村俊輔がフリーキックで点を取ったシーンは今でもしっかり覚えてます。その日は学校でひたすらマネしてボールを蹴ってました。

心配した母が連絡帳に『朝3時に起きてサッカーを見たので授業中に寝るかもしれません』って書いてありましたし、それに対する先生の返事も『いつも通り、底なしの元気でした』とか書いてあるぐらいの活発さでした。

今の野球は本当にもう誰が誰だかわからないですね。中学生になった途端に見なくなったので。というより野球に関しては見る方はあまり興味がなかったです。

唯一ちゃんと試合を見てた時期はWBCの時ぐらいです。決勝の日に友達の家に遊びに行く約束してて、当時は携帯なんて持っていなかったので急いで自転車漕いで家ついてテレビつけてもらったらイチローが決勝タイムリー打った瞬間だったという奇跡。笑

ちなみにこの頃の英語の状況は3歳から小3になるまで週に1回、英語教室に通っていました。ですが『言ってる意味がわかんない』と言ってやめてしまったので、留学前にちょっと後悔しました。

中学生の頃

中学校に進学して最初にぶつかったのがどのスポーツをやるか、当時所属していた少年野球の監督の息子さんが卒団した硬式のチームに入ったんですけど、コーチに『本気で素振りしろよ』って言われたのにムカついて口喧嘩して10日で辞めてしまいました。

今思えば『もっと頑張れ』の意味で言ったのかなとか想像できますけど、当時の僕の中で『本気でやってるのに何?』って感じだったので言葉選びとか、若い世代への声の掛け方って難しいですね。

そのあと普通に考えたら小学校までやっていたサッカーをやるんですけど、僕の中学校は人数が足りていなくて合同チームを組まないと試合が出来ない状態だったので、入らずに僕が入学した年に出来たバスケ部に入りました。

入った理由は練習が楽そうだったのと友達が誘ってくれたから。ただ、これが見学した日だけだったということを入部してから知って絶望しました。それでも続いたのはチームメイトのおかげだと思います。

ポジションはパワーフォワードで、マンガ『スラムダンク』の桜木花道と同じポジションです。黒子のバスケだと海常の早川や陽泉の岡村、秀徳の木村とかモブキャラっぽい人が多いです。けど縁の下の力持ち的なポジションで試合になると地味に頼りになる選手が多いですね。

ゴールの近くでプレイするこのポジションで身長165cmの僕に何でやらせたの?って今思うと謎ですけど多分人より跳んでたからかもしれませんね。

中学生にしてはそれなりに体があったことも要因の1つかな。あとは先生が自分が小学生の時にサッカーをやっていたことを知っていたので、ぶつかり合いの多いポジションでも嫌がらずに出来ると思ったのかもしれません。

僕の周りの選手がみんな点を取れる人達だったので、僕はひたすらリバウンドを取ってディフェンスを頑張ってました。

リバウンドを取っていれば先生に怒られなかったですし、跳んでるのが好きでしたし、自分が点を取るより自分がマークしてる相手選手が点を取れずにムカついてるところを見ている方が好きな選手でした笑。

この頃の英語の状態は中2の秋ぐらいから中学卒業までECCに通っていたのと英検3級に受かるぐらいでした。

この頃は英語が好きだから勉強しているというよりも、5科目の中なら英語が1番できるからやってるぐらいでした。通い始めたきっかけも親の誘いからです。週1回では話せるようにはなりませんでしたが、あの場の空気感は結構好きでした。あの頃から本気でやってれば今が少し楽だったのになぁ。

ですが、ECCは楽しかったですね。高校で部活をやっていなかったら続けていたと思います。

学校の教科書に書いてないような表現もありましたし、小さいホールを教室側が借りてスピーチの発表会をやりました。あそこで本気で小さい頃から勉強してれば本当に話せるようになると思います。夏休みのホームステイのプログラムとかも用意されていたので小さい子が英語を勉強する場所の選択肢の1つとしてありかなと思います。

高校生の頃

中高一貫校に通っていたので部活もそのままエスカレーター式に上がります。一度バスケを中学を卒業して終わりにしようと思ったんですけど、やっぱりやりたいなと思ってバスケ部に入りました。

中学の頃もだいぶきつかったですけど、高校は比じゃなかったですね。夏休みの合宿は冗談抜きで泣きました。

10泊11日でバスで神奈川から新潟に行って、夏にスキー場に行くから何だろうとか思ったらゲレンデを逆走するし、坂がすごい急なのにすごい速く走る大学生いるなとか思ったら箱根駅伝に出るような大学だし、本当にバスケ部が来る場所じゃないと思ってました。

これにプラスで運動部のお約束の魔のご飯タイム。めちゃめちゃ食べさせられた笑。宿の人達がどんどんご飯を炊くので減らないし、笑顔で『まだまだあるからね!』って言ってくるのが申し訳ないけど苦痛でした。僕と仲良い友達で『悪魔の微笑み』とか言ってました。おばちゃん達、マジでごめん。

それでもチャラチャラした感じで部活やるような学校より、本気で日本1を目指すような学校で部活やってよかったなと思います。

3年間試合には出れませんでしたが、ああいうキツイ練習をいっしょに乗り越えた仲間と出会えて色んな経験ができたと思っています。今でも日本に帰ってきた時はみんなの大学の試合を見に行ったりしています。

色んな経験の中で最後の1年間は試合に出れない選手兼マネージャーとしても活動していたのは特に大きかったですね。選手としてバスケに関わるのは高校が最後と決めていたので断ろうと思っていたのですが、先生にうまく言いくるめられました。笑

気持ち的には高校生としての自分はやりたくないけど将来スポーツの分野で働きたい自分としてはやってみたいって感情でした。

仕事としてはトーナメント表が出たら予定を組んで次の対戦相手のビデオとスコアを取るために試合会場にベンチに入れなかった選手を送り込んだり、自分が行ったりしてDVDを作ってミーティングをできる状態を作ったり、先生と選手のパイプ役になったりしました。

将来仕事をする時はこういう所を気をつけないといけないんだなと高3のタイミングで学べたのはよかったと思います。

お世辞抜きで今思い出してもとてもうまく仕事が出来たわけではないですし、立場としては先生側になるので厳しく周りに接することの難しさなどですごく悩んだ時期でした。多分マネージャーの仕事をやって先生に褒められたことはないですね。卒業時にみんなに『やってくれてありがとう』と卒業アルバムのメッセージで言われましたけどね。

留学を意識しはじめたのは多分高2の9月ぐらいです。日本で理学療法士とか柔道整復師などの系統の学部に行くか、アスレチックトレーナーの資格を取るためにアメリカに行くかっていうところで、色々あったんですけどアメリカに行くことにしました。

英語の成績は良くもなく悪くもなく、真ん中よりちょっとだけ上に入れるかなぐらいでした。よく留学行く人達に高校の頃は英語どころか他の教科もヤバかったみたいのを聞きますが、僕は本当に普通だったと思います。

さすがに高2が終わった時点の評定平均が3.2しかなくて、これじゃ留学しない方を選んだ時に指定校推薦ももらえないと思って高3の1学期が終わる段階で3.5まで焦って上げたぐらいです。

いたってそこら辺にいる普通の高校生ですよね?多分。僕もそう思います。

高3で数学のテスト勉強に時間を使わなくて済んだのは大感謝でしたね。僕は数学が出来ない人で冗談抜きでテストで高2の時に2点取りました。今思えば、アメリカの大学に行くのにも高校の成績は必要だったので数学以外を頑張ってよかったと思います。(数学は本当に諦めてた)

高3になったぐらいからTOEFLの勉強を始めたのですが、全然結果が出なくて心が折れて、高校卒業後に今いる大学の付属の語学学校に行くことにしました。

留学を決めたタイミングで勉強を始めればよかったのですが、完全に部活を言い訳にしてやらなかった典型例でした。この辺もそこら辺の高校生と同じですかね。(今ツケが回ってきてるのは言うまでもない)

語学学校を卒業するまで

2018年3月に高校を卒業、その年の8月に渡米、ミズーリ州にあるSoutheast Missouri State University, Intensive English Programに入学しました。

TOEFLのスコアが取れていれば行く必要がなかったんですけどね。あの場はあの場としていい経験になったと思っています。

ミネアポリスで18時間というとんでもない乗り継ぎの待ち時間を乗り越えて、セントルイスの空港に到着しました。ミネアポリスから車で行ったらどのくらいでセントルイスに着くんだろうと思ってミネアポリスで調べたら片道8時間とか出てきて『待ち時間でセントルイスと往復できるわ』とか思いながら待っていました。

学校のインターナショナルオフィスで働いている人がセントルイスの空港まで迎えに来て、学校に到着しました。

学校はそれなりに楽しく授業に行って、友達と話して、学校のジムでバスケをしたり、トレーニングをしたり、学内のイベントに行ったり授業以外のところも充実して過ごしていました。

ぶっちゃけ語学学校の授業は楽でそんなに宿題も多くないので、週3、4でジム行ってバスケしてました。

アジアから来た友達とは半分ぐらいがこの時期に会いました。お互い英語もうまく話せませんでしたが、親元を離れてアメリカで勉強をしているという共通点から割と早く打ち解けられたと思います。

1年目の2学期目からは語学学校の授業を取りつつ、大学の授業を履修させてもらえたので、1年目でキッチリ語学学校を卒業することを目標としていた自分としては大成功の1年目でした。

現在と将来の夢

2019年8月からアメリカ・ミズーリ州、Southeast Missouri State University, Department of Health, Athletic Training 専攻。

2020年1月に専攻科目を変更し、department of Health, Health Management, Exercise Science 専攻。

2020年夏に中学生の女子を対象にしているバスケのクラブチームでインターン、現在に至ります。

将来の夢はプロのスポーツチームでトレーナーになり、日本のスポーツ界の発展に貢献できるような人になることです。ワールドカップやオリンピックのような世界大会で日本が優勝する時にトレーナーとして関わりたいと思っています。

あとは将来結婚できて子供が生まれたら、一緒に日本代表として日の丸を背負いたいです。

上に書いてある専攻は大きくは両方ともトレーナーなんですけど、いずれ記事の中で説明しますね。ざっくり言えばAthletic Trainingが怪我した人を復帰させてあげる人でExcerscie Scienceが怪我をしていない選手にトレーニングを教える人です。

イメージだと50mを8秒で走れる人をトレーニングして7秒で走れるようになってもらおうって感じなのがExcercise Science、怪我をしている人が50mを本気で走れる様に治すのがAthletic Trainingです。

ジムにいるトレーナーさん達はExercise Scienceの人達になります。日本ではこういう専攻があるのかわからないけど。

メジャーを変えた理由はAthletic Trainingの資格の制度が色々と変わった時期だったので先のことを考えて大学にいる間はExcercise Scienceの路線で行こうと思って変えました。

個人的には両方に興味があるのでどっちを先にやりたいとかもなかったので気持ち的にもあまり変わらなかったです。必修科目もほとんど同じなので。

僕の想い

このブログの大きいテーマは僕自身について、人の役に立つことです。僕はこの2つを主にブログを書いていこうと思っています。やっぱり楽しくないと書かなくなるので笑。

このブログを見てくださっている方の8割以上は留学中、留学に興味がある人もしくはそのご両親の方だと思います。みなさんは留学に関する情報を集める時、どのようにして集めているでしょうか?

恐らくインターネットはもちろん、InstagramやTwitterのようなSNSで実際の体験談などを見て自分が行きたいなと思っている場所や勉強、生活の様子などのリアルな情報を集めますよね。

ただ僕は簡単には集められなかったんです。主な理由としては場所とメジャー。

カリフォルニアやニューヨークのように日本人がほとんどいないミズーリ州に関する日本語の情報はせいぜい人口、天気、州内の観光地、治安ぐらいなもの。留学生がブログやSNSを使ってのリアルな情報なんてほとんどなかったです。

ましてや僕が当時欲しかった自分と同じExcercise Science、もしくはAthletic Trainingメジャーの人のブログはなかったです。

Twitterではミズーリ州外で資格をすでに持っていて社会人として働いてる方は一定数いらっしゃいますが、生活の様子を載せているわけでもないですし、当時の時点で学生の方はいらっしゃらなかったんです。(いたとしても僕が見つけていない)

僕と同じようにヘルス系のメジャーをアメリカでやっていて、なおかつSNSで発信をしている人って今でもそこまで多くないと思います。

だからこそ僕自身が発信者となり、ビジネスやエンジニアだけじゃなく、ヘルス系の分野も高いレベルでアメリカで学ぶことができるというのを知ってほしいと思い、このブログを立ち上げました。

これらのことから、僕自身がミズーリ州、留学中の生活や留学を通して感じた想い、自分のメジャーに関することをまとめてブログにしていこうと思いました。

幸いにも僕は2020年8月現在で2年生なので、語学学校時代のことも細かく思い出して書くことが出来ますし、これから迎えるインターンや就活についての事などを細かく書くことができるので、今後留学したいと思っている方の役に立てるかなと思いました。

今でこそTwitterやブログでは、留学生ながら大きな影響力を持ち、各々の留学先やその人が感じたことの情報が増えてきましたが、まだまだ大都市に関する情報が多いです。

なのでミズーリ州や他の田舎に留学しようと思っている方、また僕と同じようにヘルス系をメジャーにしようと思っている方々への情報の少しでも足しにしていただければと思います。

また、これらに当てはまる人だけではなく留学する人達にとってもこのブログが少しでも価値のあるものとなるように発信していこうと思います。

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